京都に滞在することの多かった美濃国守護 土岐成頼のもとで、美濃国の政治の実権を握った斎藤妙椿が土岐成頼の菩提所として建立した。開山(お寺を始はじめること)は悟渓宗頓で、後花園天皇より寺院の別名でもある山号「金寶山」の勅額を賜たまわった。以後、美濃地方の禅宗寺院の中核寺院となり、一年毎に住職が変わる輪番制をとった。江戸時代に一時衰退するが、隠山禅師により再興された。戦後、清田保南老師により現伽藍(寺院の集まり)を再興。平成7年、土屋禮一氏による襖絵「雲龍図」が奉納された。(以下は、瑞龍寺のホームページです。画像クリックでホームページへリンクします)
岐阜てらまちガイド事務局 TEL :058-245-5737