「岐阜」の字、発祥の場所

瑞龍寺の歴史

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京都に滞在することの多かった美濃国守護 土岐成頼のもとで、美濃国の政治の実権を握った斎藤妙椿が土岐成頼の菩提所として建立した。開山(お寺を始はじめること)は悟渓宗頓で、後花園天皇より寺院の別名でもある山号「金寶山」の勅額を賜たまわった。以後、美濃地方の禅宗寺院の中核寺院となり、一年毎に住職が変わる輪番制をとった。江戸時代に一時衰退するが、隠山禅師により再興された。戦後、清田保南老師により現伽藍(寺院の集まり)を再興。平成7年、土屋禮一氏による襖絵「雲龍図」が奉納された。(以下は、瑞龍寺のホームページです。画像クリックでホームページへリンクします)

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寺町の歴史

200年頃 弥生時代
この辺を支配していた王がいた

680年頃 飛鳥時代
厚見寺と呼ばれるお寺があった

1462年 応仁2年
斎藤妙椿が、美濃国守護・土岐成頼の菩提所として建立し、悟渓宗頓国師を迎えて開山

1567年 永禄10年
織田信長の稲葉山城攻めの際、焼失する

1600年 慶長5年
福島正則・池田輝政らによる岐阜城の戦いにて焼失する

1747年 延享4年
輪番制が途絶え、一時荒廃する

1806年 文化3年
隠山禅師により中興される

1870頃 明治3年頃
廃仏毀釈で、十数ヵ寺が六ヵ寺に減少、橿森神社が現在の場所へ独立する

1891年 明治24年
濃尾地震の被害にあう

1945年 昭和20年
岐阜大空襲により、二ヵ寺を残し全山焼失する

1992年 平成4年
現在の本堂の改築が完成
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